ジョン・モウブレー (第3代ノーフォーク公)
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ジョン・モウブレー John Mowbray | |
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第3代ノーフォーク公 | |
ジョン・モウブレーの紋章 | |
在位 | 1432年 - 1461年 |
出生 |
1415年9月12日 |
死去 |
1461年11月6日(46歳没) |
配偶者 | エレノア・バウチャー |
子女 | ジョン |
家名 | モウブレー家 |
父親 | 第2代ノーフォーク公ジョン・モウブレー |
母親 | キャサリン・ネヴィル |
第3代ノーフォーク公ジョン・モウブレー(John Mowbray, 3rd Duke of Norfolk, 1415年9月12日 - 1461年11月6日)は、イングランドの貴族で、薔薇戦争期の軍人である。第2代ノーフォーク公ジョン・モウブレーとウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィルの娘キャサリンの子。ノーフォーク公の称号を相続した1432年から軍務伯(後の紋章院総裁)の地位に就いた。
生涯
[編集]1450年代の薔薇戦争の初期にはヨーク家のヨーク公リチャードの側についていた。しかし、1459年にはランカスター家のヘンリー6世に忠誠を誓うも、その後すぐにヨーク派に戻った。この種の裏切りは、優劣の目まぐるしく移る薔薇戦争中には決して珍しくはなかった。1461年2月に第2次セント・オールバンズの戦いでヨーク派として戦ったが敗れた。3月にヨーク公の息子マーチ伯エドワード(後のエドワード4世)に即位を促したりもしている。
1461年3月29日のタウトンの戦いにおいては、正午頃にヨーク派右翼に加勢して、ヨーク派の勝利に貢献した。後に元帥伯としてエドワード4世の戴冠式を執り行った。同年11月に死去、妻エレノア・バウチャー(フランス北部のウー伯ウィリアム・バウチャーとグロスター公トマス・オブ・ウッドストックの娘アン・オブ・グロスターの娘)との間の一人息子ジョンが後を継いだ。
公職 | ||
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先代 ノーフォーク公 |
軍務伯 1432年 - 1461年 |
次代 ノーフォーク公 |
先代 アランデル伯 |
巡回裁判官 Justice in Eyre 南トレント 1461年 |
次代 エセックス伯 |
爵位・家督 | ||
先代 ジョン・モウブレー |
ノーフォーク公 1432年 - 1461年 |
次代 ジョン・モウブレー |